有田焼とは?その歴史と特徴を徹底解説

日本を代表する陶磁器の一つに「有田焼」があります。有田焼がどのような陶磁器か、代表的な作家や窯元はどこかなど、有田焼に関する基本的な情報をまとめました。

有田焼とは

有田焼は、佐賀県有田町で生まれた日本の代表的な陶磁器で、その美しさと精緻な技術で世界的に有名です。ここでは、有田焼の定義やその特徴、「伊万里焼」との関係について解説します。

有田焼はどんな陶磁器?

有田焼(ありたやき)は、日本の伝統的な陶磁器の一つで、主に佐賀県有田町で生産されています。17世紀に始まり、特に江戸時代に栄えました。有田焼は、その美しいデザインと高い技術力で知られ、特に青白磁や色絵の技法が特徴です。

有田焼は、主に食器や装飾品として使用され、国内外で高く評価されています。特に、繊細な絵付けや独特の釉薬が施された作品が多く、伝統的な技法を守りながらも現代的なデザインのものも増えています。

有田焼は、国際的にも人気があり、輸出も行われており、日本の陶磁器の中でも特に有名なブランドの一つです。

「有田焼」と「伊万里焼」

「有田焼」と「伊万里焼」は、どちらも佐賀県に由来する陶磁器です。17世紀初頭に朝鮮半島からの陶工によって始まった有田焼ですが、17世紀後半になるとその芸術性の高さが評価され、東インド会社が有田焼を買い付けるようになりました。これらの有田焼は伊万里の港から輸出されていたため「伊万里焼」と呼ばれるようになりました。つまり、伊万里焼は有田焼の一部といえます。

有田焼の歴史

有田焼の歴史は、江戸時代から現代に至るまで、さまざまな時代を経て発展してきました。ここでは、各時代ごとの特徴と、重要な転換点を振り返りながら、有田焼の成り立ちと進化を詳しく解説します。

江戸時代の有田焼

有田焼の歴史は17世紀初頭、1616年(元和2年)頃に始まります。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に鍋島直茂が連れ帰った朝鮮人陶工、李参平(り さんぺい)が有田の泉山(いずみやま)で磁器の原料となる陶石を発見し、白川天狗谷窯(しらかわてんぐだにがま)で日本で初めて磁器の焼成に成功したことが始まりとされています。初期の有田焼は、中国陶磁の影響を受けつつも、李参平をはじめとする朝鮮陶工たちの技術によって発展しました。当初は染付(そめつけ)と呼ばれる、呉須(ごす)という顔料で白磁に藍色の文様を描く技法が主流で、素朴な印象の磁器が焼かれました。

1640年代には、色絵(いろえ)の技法が取り入れられ始めます。これは、それまでの染付による単色の絵付けに、赤、黄、緑などの多彩な色を用いて絵付けをする技法で、有田焼の表現力を大きく広げることとなりました。ただし、色絵の技法が確立するのはもう少し後になります。

1650年代になると、有田焼はオランダ東インド会社を通じて東南アジアやヨーロッパへ輸出されるようになります。特に、伊万里港(いまりこう)からの輸出が盛んになったため、これらの磁器は「伊万里焼(いまりやき)」としても広く知られるようになりました。この時期の製品は、古伊万里(こいまり)と呼ばれます。

17世紀後半、1670年代から1690年代にかけては、「柿右衛門様式(かきえもんようしき)」が確立します。初代柿右衛門(酒井田柿右衛門)が、乳白色の素地である濁手(にごしで)に、赤を基調とした鮮やかな色絵を施す技法を確立したとされています。柿右衛門様式は、左右非対称の構図や余白を活かした繊細なデザインが特徴で、花鳥風月などの自然を題材にした優雅な絵付けが施されています。特に、赤色(柿色)の発色が美しく、全体的に洗練された印象を与えます。

江戸時代の元禄期(1688年~1704年)には、「金襴手様式(きんらんでようしき)」が現れます。金襴手は、金箔や金粉などを用いて金色の装飾を施した陶磁器で、華やかで豪華な印象を与えます。特に、金色の線や模様が色絵と組み合わされた作品が多く、光を反射して美しい輝きを放ちます。金襴手は、柿右衛門様式と並び、有田焼を代表する様式の一つです。

江戸時代を通じて、有田焼では様々な様式が生まれましたが、その中でも特に重要なものの一つに「鍋島様式(なべしまようしき)」があります。鍋島様式は、佐賀藩鍋島家の御用窯で製作された磁器で、藩主への献上品や贈答品として用いられたため、非常に高い品質と格調を誇ります。鍋島様式には、染付で緻密な文様を描いた「藍鍋島(あいなべしま)」、青磁の技法を用いた「鍋島青磁(なべしませいじ)」、そして色絵を施した「色鍋島(いろなべしま)」があります。特に色鍋島は、染付の藍色と、赤・黄・緑の三色の上絵を基本とした鮮やかな色彩と、高度な技術によって描かれた精緻な文様が特徴です。鍋島様式は、その厳格な様式美と卓越した技術から、有田焼の中でも最高峰とされています。

幕末の有田焼

幕末の開国により、海外との貿易が活発化し、有田焼の輸出も増加しました。特に、ヨーロッパにおけるジャポニズム(日本趣味)の高まりは、有田焼の需要を大きく押し上げる要因となりました。また、同時期に中国の内乱などにより中国磁器の輸出が滞ったことも、有田焼が海外市場に進出する好機となりました。西洋市場への進出に伴い、西洋の生活様式に合わせたデザインの製品が作られるようになりました。例えば、西洋の紋章や幾何学模様、花柄などを取り入れたり、洋食器の形状を模倣したりするなど、従来の日本の意匠とは異なる、華やかで装飾的なスタイルが生まれ、これらは「洋風伊万里」と呼ばれました。有田の豪商、久富与次兵衛はオランダとの貿易を再開し、佐賀藩から有田焼独占輸出の権利を得て、海外輸出に尽力しました。その後、田代紋左衛門がその権利を継承し、西洋陶技を導入するなど、輸出拡大に貢献しました。

この時期、有田焼の技術も大きく進化しました。色絵の具の種類が増え、より鮮やかで多様な色彩表現が可能になりました。また、金彩の技法も発展し、作品に豪華な装飾が施されるようになりました。これらの技術革新により、有田焼の表現力は飛躍的に向上しました。海外市場での成功は、国内でも有田焼の評価を高めました。幕末の動乱期においても、有田焼は贈答品や調度品として重用され、国内市場でも一定の需要を維持しました。

幕末の有田は、1828年の大火に見舞われるなど、慢性的な不況に苦しんでいました。しかし、開国を機に海外市場が開拓されたことで、有田焼は再び活気を取り戻し、新たな発展を遂げることとなりました。

明治時代の有田焼

明治時代に入り、有田焼は積極的に海外市場へ進出しました。明治政府の殖産興業政策の後押しもあり、有田焼は重要な輸出品として位置づけられ、海外の需要に応えるべく、大型の花瓶や西洋の生活様式に合わせた食器などが盛んに製作されるようになりました。特に、1873年のウィーン万国博覧会への出展は、有田焼が世界的な評価を得る大きな契機となりました。この博覧会では、従来の日本の焼き物の概念を覆すような、巨大な花瓶や、西洋の美術様式(例えば、アール・ヌーヴォーやジャポニズムの影響を受けたもの)を取り入れた華麗な装飾が施された作品が多く出品され、来場者を驚かせました。その後も、パリ(1878年、1889年、1900年)、シカゴ(1893年)など、各地の万国博覧会で数々の賞を受賞し、ヨーロッパやアメリカを中心に高い人気を博しました。

明治初期には、佐賀藩の招きにより、ドイツ人化学者ゴットフリード・ワグネルが有田に滞在し、西洋の化学技術が伝えられました。これにより、石炭窯の導入や、それまで天然鉱物から採取していた染付の顔料を工業的に製造する方法などが確立され、生産効率と品質が飛躍的に向上しました。また、ワグネルは新しい釉薬や絵具なども伝え、有田焼の技術革新に大きく貢献しました。貿易の自由化が進む中で、有田焼はヨーロッパやアメリカを中心に輸出され、大きな成功を収めました。特に、西洋の食文化に合わせて作られた洋食器は、上流階級の間で人気を集めました。また、美術品としての価値も認められ、コレクションの対象となりました。

海外市場での成功に加え、国内でも、近代日本初の迎賓施設である延遼館(えんりょうかん)、鹿鳴館(ろくめいかん)や明治宮殿などの迎賓施設で使用されるなど、有田焼の需要は高まりました。これは、有田焼の高い品質と芸術性が、国内外で広く認められたことを示しています。デザイン面では、伝統的な日本の意匠に加え、アール・ヌーヴォーなどの西洋の美術様式の影響を受けた、華やかで装飾的な作品が多く制作されました。これは、当時の国際的な流行を反映したものであり、有田焼の多様性を高める要因となりました。

明治時代には、香蘭社(こうらんしゃ)のような近代的な企業組織を持つ窯元が登場し、生産体制の近代化が進みました。香蘭社は、深川栄左衛門によって設立され、万国博覧会への出品などを通して海外市場を開拓しました。香蘭社の他にも、深川製磁(ふかがわせいじ)、柿右衛門窯(かきえもんがま)、今右衛門窯(いまえもんがま)など、現在も続く有力な窯元がこの時代に活躍しました。これらの窯元は、それぞれ独自の技術や様式を確立し、有田焼の発展に大きく貢献しました。特に、深川製磁は、ワグネルの指導を受けながら、西洋の技術を積極的に導入し、輸出向けの製品を多く生産しました。

大正時代以降の有田焼

大正時代に入ると、第一次世界大戦の影響でヨーロッパからの需要が増加し、有田焼の輸出は一時的に活況を呈しました。しかし、戦後の不況や1929年の世界恐慌の影響を受け、輸出は激減し、有田の窯業界は深刻な状況に陥りました。国内市場においても、生活様式の変化に伴い、従来の和食器だけでなく、洋食器の需要が増加しました。また、新しい素材や技術の導入も進められましたが、全体としては苦しい時期でした。

第二次世界大戦中は、物資不足や労働力の不足により、有田焼の生産は大幅に縮小されました。また、軍需品の生産に転用された窯元もあり、伝統的な有田焼の製造は困難な状況となりました。佐賀県も空襲の被害を受け、有田の窯元にも被害が出ました。これにより、貴重な資料や作品が失われたことも、大きな損失となりました。

戦後、有田焼は再び注目を集めるようになります。伝統的な技術やデザインが再評価されるとともに、新しい素材や技法も積極的に取り入れられ、現代の生活様式に合わせた作品が数多く生み出されました。井上萬二氏のような人間国宝をはじめ、多くの現代作家が有田焼の伝統を継承しながらも、革新的な作品を生み出し、有田焼の新たな可能性を切り開いています。1977年には、有田焼は国の伝統的工芸品に指定され、保護と振興が図られるようになりました。また、海外への輸出も再開され、有田焼は再び世界市場で注目を集めるようになりました。

現代の有田焼は、伝統と革新が融合した多様な表現を見せています。伝統的な技法を継承する一方で、現代のライフスタイルに合わせたデザインや、新しい素材・技術を取り入れた作品も数多く制作されています。また、若手作家の育成や海外のデザイナーとのコラボレーションなど、新たな試みも積極的に行われており、有田焼の未来はますます広がっています。

有田焼の特徴

有田焼には、様々な技法やデザインが存在し、その特徴的なスタイルが世界中で評価されています。ここでは、代表的な様式とデザイン、製作方法、技術について詳しく解説し、有田焼の魅力を深く探ります。

様式とデザイン

有田焼は、そのデザインや技法によって多くの様式に分かれます。代表的なものには、染付(そめつけ)、色絵(いろえ)、青磁(せいじ)などがあります。

  • 染付(そめつけ):染付は、白地の磁器に藍色の絵付けを施す技法で、日本のみならず海外でも広く親しまれています。藍の濃淡や筆使いによって、繊細で奥行きのあるデザインが特徴です。主に風景や花鳥がモチーフに選ばれることが多く、その静謐な美しさが魅力です。
  • 色絵(いろえ):色絵は、色鮮やかな絵付けが特徴で、17世紀後半に誕生しました。特に「柿右衛門様式」や「古九谷様式」が有名で、赤や緑、黄色などの華やかな色彩が用いられます。これにより、花や鳥、動物などのモチーフが生き生きと描かれます。
  • 青磁(せいじ):青磁は、淡い青緑色の釉薬が特徴で、上品な透明感を持つ美しい仕上がりです。青磁はシンプルながら洗練されたデザインが多く、茶器や装飾品として人気があります。

製作方法と技術

有田焼の製作工程には、細かな技術が凝縮されています。以下にその主な工程と特徴を説明します。

  • 陶石の使用:有田焼の特徴は、地元の「泉山陶石」を使用する点にあります。この陶石は、耐久性が高く、白磁の輝きが美しいため、上質な磁器の製作に欠かせません。現在では泉山陶石だけでなく、他の地域の陶石も使用されています。
  • 成形技術:成形には手びねりやろくろ成形が一般的に使用されます。一つひとつの作品が職人の手で丁寧に成形され、繊細で均一な形状が実現します。近年、特に大量生産される製品においては、型を用いて成形する技法も広く用いられています。
  • 焼成プロセス:素焼き(約900度)を行った後、釉薬をかけ、本焼き(約1300度以上)を行うことで、硬度の高い磁器が完成し、艶やかな光沢と滑らかな手触りが生まれます。
  • 絵付け:焼成前(下絵付け)または焼成後(上絵付け)に行われる絵付け作業は、筆一本で精緻な模様を描く技術が求められます。特に色絵や染付は、この工程が作品の美しさを決定づけます。

主要な窯元と作家

有田焼の伝統を守りつつ、新たな表現を追求する窯元や作家の存在が、その魅力をさらに引き立てています。

主要な窯元

  • 今右衛門窯:今右衛門窯は、江戸時代に確立された色絵の様式を現代に伝える代表的な窯元です。繊細な色使いと洗練された意匠が特徴で、特に色絵の具の発色を最大限に生かすための緻密な技術は高く評価されています。現在は十四代今右衛門がその伝統を継承しています。
  • 柿右衛門窯:柿右衛門窯は、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の磁肌に、赤を基調とした色絵を施す「柿右衛門様式」を確立した窯元です。現在は十五代酒井田柿右衛門がその伝統を継承しており、伝統を守りながらも現代の生活空間に調和するような新しいデザインにも積極的に取り組んでいます。
  • 香蘭社:明治期に設立され、輸出向けの磁器を多く生産したことで知られる窯元です。華やかな意匠が特徴です。
  • 源右衛門窯:古伊万里の色絵を現代に蘇らせることを目指している窯元です。古伊万里の意匠を忠実に再現した作品や、古伊万里の様式を現代風にアレンジした作品を制作しています。

主要な作家

  • 井上萬二:白磁の人間国宝として知られ、轆轤(ろくろ)の高い技術と、研ぎ澄まされた造形美が特徴です。無駄をそぎ落としたシンプルな造形の中に、素材本来の美しさを引き出すことを追求しています。その作品は、凛とした緊張感と、温かみのある優しさを併せ持ち、見る人の心を捉えます。
  • 十四代 今泉今右衛門:江戸時代から続く色絵磁器の名家、今右衛門家の十四代目当主です。色絵の伝統を守りながらも、現代的な感覚を取り入れた作品を制作しています。特に、色絵の具の発色を最大限に生かすための緻密な技術と、洗練された意匠は高く評価されています。
  • 十五代 酒井田柿右衛門:濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の磁肌に、赤を基調とした色絵を施す「柿右衛門様式」を確立した柿右衛門家の十五代目当主です。伝統的な技法を継承しながらも、現代の生活空間に調和するような新しいデザインにも積極的に取り組んでいます。
  • 馬場九洲夫:「窯変(ようへん)」という、焼成中に起こる釉薬の予期せぬ変化を利用した技法で知られる作家です。偶然が生み出す複雑な色合いや模様の、二つとない表情が魅力です。自然が生み出す偶然の美しさを、最大限に引き出すことを追求しています。
  • 藤井錦彩:人間国宝である井上萬二氏に師事し、伝統的な技法を重んじながらも、独自の陶技である黄金と白金釉を用いた作品を制作しています。豪華で華やかな作風が特徴です。光の当たり方によって、様々な表情を見せる釉薬の表現は、見る人を魅了します。

使用シーンと利用方法

有田焼は、鑑賞用としても日常使いとしても活躍する、非常に多用途な陶器です。ここでは、その鑑賞用としての価値や、日常的に使う際の魅力について詳しく解説します。

鑑賞用としての有田焼

有田焼は、単なる食器や日用品としてだけでなく、美術品としても非常に高い価値があります。細かな技術と美しいデザインが融合した有田焼は、コレクションとしても人気があり、伝統的な作品や現代作家の作品を集める楽しみがあります。古伊万里様式のような歴史的な価値の高い作品は、美術品として高く評価され、美術館やコレクターの間で取引されています。また、現代作家の作品は、その独創的なデザインや高度な技術が評価され、アート作品としてコレクションする愛好家もいます。

有田町には、佐賀県立九州陶磁文化館をはじめ、多くの美術館やギャラリーがあり、有田焼の歴史と美に触れることができます。また、毎年春に開催される有田陶器市は、多くの陶器ファンで賑わいます。

日常使いとしての有田焼

有田焼の食器は、その美しさと使いやすさが魅力です。特に、繊細で軽い作りが日常の食事にぴったりで、使い込むほどに味わいが増していきます。また、他の食器との組み合わせも楽しめるため、食卓に華を添えるアイテムとしても重宝されています。

有田焼の食器は、和食はもちろん、洋食や中華など、様々な料理に合わせやすいのが魅力です。例えば、白磁の皿は、サラダやパスタなどの洋食を盛り付けるのに最適です。また、染付の小皿は、和食の取り皿としてだけでなく、デザート皿としても活躍します。有田焼は、高温で焼成されているため、丈夫で割れにくいという特徴があります。また、表面が滑らかなため、汚れが落ちやすく、お手入れも簡単です。

食卓だけでなく、花瓶や香炉、置物など、インテリアアイテムとしても有田焼は人気があります。玄関やリビングに飾ることで、空間に上品なアクセントを加えることができます。特別な日の食卓を彩ったり、来客をもてなす際に使用したり、お茶の時間を優雅に演出したりと、様々なシーンで有田焼は活躍します。例えば、柿右衛門様式の器でお茶をいただけば、上品で優雅なひとときを過ごせるでしょう。

まとめ

有田焼は、長い歴史と伝統を持つ日本の名陶であり、現代においてもその魅力は色褪せることなく、多くの人々に愛されています。歴史的背景や技術、デザイン、使用方法に至るまで、さまざまな角度から有田焼の魅力を知ることができます。鑑賞用としても日常使いとしても、非常に価値が高く、今後もますます注目されるべき陶器です。

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